女王 卑弥呼の国を探る ”纒向”の出現と倭国連合の成立 と 無理やり”南漢山城”

さて、11/3はイェソンが出演する”南漢山城”の最後の公演でした。何もかも捨てる勇気があれば、行ったのですが、現実問題として、生活の為に、文化の日も悲しく会社へ行きました。

さて、今日はわりかし堅い話なんで、飽きる人続出でしょうが、一応イェソンにつなげますよ!勝手にイェソンに思いを寄せて(うざい!)、個人的には力作?読む人には迷作。

大好きな写真。出処は画像の中にあります。
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週末、とある古代史の講演会に父と参加して参りました。古代史ファンの父親の影響で、私も子供の頃から古代史にロマンを感じている一人です。ただ、父とは違い、私は細かい事が覚えられないので、”なんちゃって古代史ファン”です。ですから、ここに書いてあることも、間違ってるかもしれませんのでご了承ください。

子供時代は漫画を禁止されていたんですが、”日出づる処の天子”だけは買っておりまして、昔から奈良に対する憧れがございました。一人旅が苦手な私ですが、一度は一人旅をしてみたいと思っていた私は、初めての一人旅の行き先に思い入れのある奈良を選びました。奈良だけは一人で何回か行きました(暗いね)。邪馬台国とか、古墳とか、飛鳥時代とか、聖徳太子とかそういう言葉を聞くと今でもゾクゾクします。だから、韓国に興味があるのは、もともとは奈良と深い関わりがあった国だからなのです。仏教はインドから中国を経て、百済から伝わり、私が大好きな飛鳥時代のお寺や仏像にはこの頃の大陸の影響を受けたものが沢山あります。韓国の可愛いナムジャが好きだからというだけじゃないんです(と、一応あがいてみる)。

ま、そんなこんなで昔から百済という土地に勝手に愛着を抱いてる私は、9月の韓国旅行で念願の百済の都だった念願の”扶余(プヨ)”に行くことが出来て感無量でした。飛鳥の風景は扶余の風景に似ているといわれているそうです。扶余への旅行について、ちょびっとでもご興味あれば、こちらへ:4泊5日韓国旅行:2日目 (その1)

話は戻ります。今回参加したのは、奈良・桜井市にある纒向(まきむく)遺跡に関する講演会でした。有名な先生方のお話と、シンポジウムであっという間に一日が過ぎました。実は、ここ2007年に父と旅行しているのです。それで参加することにしたのですが、話を聞きながら旅行のことをいろいろ思い出しました。この講演会の事を知ったのは、8月の Super Junior のコンサートで東京フォーラムへ行った時、会場前の広場で奈良の観光ブースがで出ていて、そこでもらったチラシにあったから(だと思う)なんですよ。

奈良の旅行記、興味ないかもしれないけど、良かったらどうぞ:
奈良旅行: 古代ロマンの旅?(一日目:山辺の道)

この纒向遺跡というのが、つい先日、全面を朱色で彩った石室が60年ぶりに確認された桜井茶臼山古墳(3世紀末~4世紀前半)と並び、今古代史ファンの間ではvery Hot な場所なんです。そして、つい最近この纒向遺跡で大発見があったそうです!!11月の10日の新聞にスクープが出ると思いますので、期待しててくださいませ。

纒向エリアは倭王として国を束ねた女王卑弥呼の邪馬台国の候補地となっております。この近くには沢山の古墳があります。すぐ近くに卑弥呼の墓だと言われる”箸墓(はしはか)”もありますし、33面の三角縁神獣鏡が発見されたことで有名な黒塚古墳もあります。纒向遺跡古墳は古墳時代の前期のものです。

古墳時代ってなんだったけと言う方はこちら→古墳時代(ウィキペディア)

1700年以上前の事を、あーだこーだ言っても本当のところは分からない。でも、わからないから面白い。だからこそ古代ロマンなのです~~。例えば、宮内庁が管理している、天皇陵を発掘したら、もしかして歴史がくつがえるかもしれないし、今宮内庁の管理下にない古墳が、もしかしてたら天皇陵かもしれない(継体天皇陵と言われる今城塚古墳とか)。。。面白いですね。そんなこんなで、参加者の平均年齢はかなり高かったですが、貴重な体験でした。みなさんもよろしかったら、桜井市へお出かけください。山の辺の道を歩くのも楽しいですよ。

さて、ここからじわじわとイェソンにつなげていきますよ!イェソンの出演したミュージカル”南漢山城”は。丙子胡乱の際、 仁祖が入城して清と対抗した時の話を描いたもので、卑弥呼の時代とは時代が違うのですが、この古代ロマンと関連があったんです!!

で、邪馬台国(ウィキペディア)と言うのは、みなさん歴史の時間に習ったと思います、三国時代(魏呉蜀)の”魏志倭人伝”(三国志)にその記述があります。その中で、女王卑弥呼は魏と交流があり、使者を帯方郡に送って天子に拝謁を願ったとあります。(わかったようなこと書いてますが、ネットで調べながら書いています)その帯方郡といいますのが、諸説ありますが、その中の一つが今のソウルあたりだと言われているそうです。

講演会でもらってきたパンフに、魏志倭人伝をたどる旅のツアーが掲載されていたんです。”魏、洛陽から帯方郡へ”と書いてあって何気なくみていたら、”南漢山城”の文字大発見。

魏志倭人伝になぜ、このお城の名前があるんでしょうか??

パンフレットによれば、南漢山城は漢江とともに、三国時代まで歴史がさかのぼるとされているそうです。三国時代といえば、邪馬台国の記載がある魏志倭人伝は三国志の一部でしたよね?ですから、このお城は倭国と交流のあった魏の時代から有ったようです。この南漢山城の起源として、百済の始祖温祚王の最初の首都“河南慰礼城”が南漢山城と考えられていたという説が有ります。場所には諸説ありますがソウル説も有ります

ちょっと無理やりかもしれませんが、このイベントに行ったのは SJコンに行った時にもらったチラシ、古代ロマンの聖地奈良は百済との交流があり、百済の都があった扶余があったのは、イェソンの故郷、”忠清南道”。イェソンが出演したミュージカルの舞台となった南漢山城は、卑弥呼が使者を送った帯方郡(ソウル説を取れば)にあったと言われている。。。すみません、なんちゃって古代史ファンなので、間違いもあると思いますが、アマチュアってことでお許しを。

やっぱり、なにか縁053.gifを感じませんか?

多分、あっちは何も感じてないけど・・・・。

しばらく、イェソンからは離れられそうにないです。といっても遠くからこうして、ブログで騒ぐだけですけどね。
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by the_big_blue | 2009-11-04 09:10 | travel, diving, ovtd