奈良旅行: 古代ロマンの旅?(一日目:山辺の道)
2007年 07月 22日今回の旅のメインテーマは”山辺の道です”。私は何を隠そう、古代史ファン(あんまり知識が無いけど)なのです。ずっと前から 日本書紀に現れる日本最古の道である゛山辺の道”を歩きたいと思っていたのです。桜井から天理までは全行程約16キロぐらいでしょうか?そうしたら、私の古代史の師匠を誘ったら行く!というので、急遽3連休を使っていくことにしました。古代ってロマンがあるでしょ?卑弥呼とか、邪馬台国とか古墳とか、考えるだけでワクワクします。年がバレますが、昔 ”日出処の天子”(山岸涼子作)のファンだったので、聖徳太子には格別の思い入れがあります。小さい頃から、奈良はいいところだと聞いて育ったし、自分でも奈良だけには一人旅で何度か行っているので、勝手に愛着を感じてしまうんです。
ざっと流れを書いておきます。
天理駅→天理教本部→石上神宮→夜都伎神社→環濠集落→衾田陵→長岳寺→祟神天皇陵→黒塚古墳→纏向(まきむく)古墳群→ホケノ山古墳→箸墓古墳→埋蔵文化財センター→宿
お天気だったら、完璧な旅程だったのにな。台風が恨めしい。もろ台風4号の時期にぶちあたっちまいました。山の辺の道は、20年ほど前に一部を歩いたことがあります。ただ、通しで天理から三輪まで通しで歩くのは初めてです。(宿が三輪だったので、天理までは行かないことにした)。台風が来ているからキャンセルしようという、弱気な師匠の叫びを、”私のバスのチケットは払い戻しが効かないから駄目!”の一言で一蹴し強行突破。土曜日は朝から雨でした。
長岳寺のビジターセンターで一休み。ここでおにぎりとお茶とおやつで一息。雨はやまないですね。そのあと、祟神天皇陵へ。天皇陵となうっているだけあって巨大です。全長242メートルの前方後円墳。大和朝廷の創始者といわれる第10代崇神天皇は実在はしていないらしいですね。一体では誰のお墓なのでしょうね。
ここから線路をわたって黒塚古墳をめざします。ここでちょっと山辺の道からはずれます。線路は単線。走る電車は2両編成。時間がゆっくりと過ぎていくような感じです。
黒塚古墳は今は埋め立てられて公園になっていますので、その隣にある資料館(無料)を見に行きました。黒塚古墳は、天理市に所在する前方後円墳です。 全長約130m、後円部高さ約11mの大きさ。3世紀後半から4世紀前半の古墳時代前期前半築造と考えられています。ここは、33三角縁神獣鏡が発見されたことで一躍有名になりました。この発見された鏡は卑弥呼が魏からもらった鏡ではないかと言われていますが、この三角縁神獣鏡は国内で500枚以上見つかっており、賜った鏡は100枚?ぐらいだったそうなので、つじつまがあいません。奈良に卑弥呼がといたという有力な証拠と考えられているのは事実です。鏡のレプリカがありましたが、出来た当時は金色に輝く重い(1キロある)鏡だったそうです。近くには崇神天皇陵・景行天皇陵もあり、場所的に考えても、かなりの有力者のお墓であることは間違いないと思います。
出土された大量の土器は、吉備地方のものと思われる土器や木製製品も発見されており、他にも東海地方を中心に、九州から関東まで各地からの土器が発見されていて、当時からすでに人の往来があったことがわかる。更に、朝鮮半島の韓式土器も出土している。周りに水路があったことも発見され、ここの木を調べたら、奈良時代最古の古墳であるということがわかったのです。ということは、3世紀初めぐらいからすでに、それなりの力を持つ人物がこの地域にいたということがわかったわけです。すごい!
雨はだんだん強くなり、風も強くなり久々に傘がオチョコに何度もなりました。なんか小学生の頃を思い出しちゃいましたね。靴もGパンもぐちょぐちょ。やっとたどり着いたは最後の目的地”埋蔵文化財センター”閉館4時だったのに、4時に到着。でも、ずぶぬれで来た私たちに優しくゆっくり見ていってくださいとおっしゃっていただきました。ありがとうございました。ここには、桜井市の原始から古代中世までを時代ごとに出土品を展示してありました。纒向遺跡から発見された、吉備からきた不思議な模様の木器や、大陸からきた韓式土器も展示してあり、興味深かったです。
いや~~~よく歩きました。これで今日の旅程は終了!
by the_big_blue
| 2007-07-22 22:39
| travel, diving, ovtd