奈良旅行: 古代ロマンの旅?(一日目:山辺の道)

先週末の連休を使って、奈良へ行ってきました。今回は2泊5日の奈良への旅。また夜行バスです。夜行バスは新幹線より安いので資金的理由というのもありますが、一番は時間の節約かな。移動してて半日終わるのが嫌なんですね。夜行バスには身体が慣れたようです。全然へっちゃらだ。

今回の旅のメインテーマは”山辺の道です”。私は何を隠そう、古代史ファン(あんまり知識が無いけど)なのです。ずっと前から 日本書紀に現れる日本最古の道である゛山辺の道”を歩きたいと思っていたのです。桜井から天理までは全行程約16キロぐらいでしょうか?そうしたら、私の古代史の師匠を誘ったら行く!というので、急遽3連休を使っていくことにしました。古代ってロマンがあるでしょ?卑弥呼とか、邪馬台国とか古墳とか、考えるだけでワクワクします。年がバレますが、昔 ”日出処の天子”(山岸涼子作)のファンだったので、聖徳太子には格別の思い入れがあります。小さい頃から、奈良はいいところだと聞いて育ったし、自分でも奈良だけには一人旅で何度か行っているので、勝手に愛着を感じてしまうんです。

ざっと流れを書いておきます。

天理駅→天理教本部→石上神宮→夜都伎神社→環濠集落→衾田陵→長岳寺→祟神天皇陵→黒塚古墳→纏向(まきむく)古墳群→ホケノ山古墳→箸墓古墳→埋蔵文化財センター→宿

お天気だったら、完璧な旅程だったのにな。台風が恨めしい。もろ台風4号の時期にぶちあたっちまいました。山の辺の道は、20年ほど前に一部を歩いたことがあります。ただ、通しで天理から三輪まで通しで歩くのは初めてです。(宿が三輪だったので、天理までは行かないことにした)。台風が来ているからキャンセルしようという、弱気な師匠の叫びを、”私のバスのチケットは払い戻しが効かないから駄目!”の一言で一蹴し強行突破。土曜日は朝から雨でした。

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私は夜行バスで、師匠は前日から天理入り。天理駅で朝7時に待ち合わせました。こんな雨の中の山辺の道を歩くおばかさんは、あたしらだけでしたね。天理駅からアーケードを抜けて、天理教の本部へ。昔、ここに来たときはびっくりしたなぁ。

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本部を抜けて、石上神宮へ。当時の豪族 物部氏の総氏神として信仰されていた日本最古の神社だそうです。写真は榊の木です。つやつやした葉っぱが綺麗でした。また、境内にいる放し飼いの鶏の声を除けば(懐いているので、寄ってくるのですよ)、とても荘厳な感じです。天理駅からここまで歩くだけでも結構疲れます。しかし、ここが事実上のスタートライン。石神神社から民家や裏山を抜けて山辺の道を歩き始めます。このあたりは、道といっても、細い裏道みたいな感じです。雨がそこそこ降っています。このあたりは一人で歩くのはちょっと怖いです。

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山辺の道を歩いていると大和三山の畝傍山と耳無山がいつも目に入ります。奈良は盆地なので、低い山ですが目立ちますね。天理から桜井にかけての道は、初期大和朝廷の根拠地だったところなので、その名残である古墳群がとても興味深いです。

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雨にぬれる田園の緑がとっても綺麗です。雨だったからこそ見られた風景だと思います。人が居なかったのも良かったし。沢山前をぞろぞろ人があるいているとちょっと興ざめですもんね。


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衾田陵(ふすまだりょう)は、継体天皇皇后だった手白香皇女のお墓ということになっていますが、時代的には継体天皇の時代とはあわないそうです。宮内庁の管轄なので入り口が立派。

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衾田古墳は西殿塚古墳とも呼ばれているて、前兆230mの前方後円墳。年代は3世紀後半に築造された古墳時代初期の巨大古墳です。入り口は、農家の畑の奥にあって、人が来た気配はありません。

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長岳寺のビジターセンターで一休み。ここでおにぎりとお茶とおやつで一息。雨はやまないですね。そのあと、祟神天皇陵へ。天皇陵となうっているだけあって巨大です。全長242メートルの前方後円墳。大和朝廷の創始者といわれる第10代崇神天皇は実在はしていないらしいですね。一体では誰のお墓なのでしょうね。

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ここで、御陵餅本舗というところでお饅頭を買いました。古墳をかたどったとか。やわらかくて美味しかったですよ。

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ここから線路をわたって黒塚古墳をめざします。ここでちょっと山辺の道からはずれます。線路は単線。走る電車は2両編成。時間がゆっくりと過ぎていくような感じです。

黒塚古墳は今は埋め立てられて公園になっていますので、その隣にある資料館(無料)を見に行きました。黒塚古墳は、天理市に所在する前方後円墳です。 全長約130m、後円部高さ約11mの大きさ。3世紀後半から4世紀前半の古墳時代前期前半築造と考えられています。ここは、33三角縁神獣鏡が発見されたことで一躍有名になりました。この発見された鏡は卑弥呼が魏からもらった鏡ではないかと言われていますが、この三角縁神獣鏡は国内で500枚以上見つかっており、賜った鏡は100枚?ぐらいだったそうなので、つじつまがあいません。奈良に卑弥呼がといたという有力な証拠と考えられているのは事実です。鏡のレプリカがありましたが、出来た当時は金色に輝く重い(1キロある)鏡だったそうです。近くには崇神天皇陵・景行天皇陵もあり、場所的に考えても、かなりの有力者のお墓であることは間違いないと思います。

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このあと師匠が行きたいという”纒向古墳群”を探してこのあたりをさまよいます。巻向駅の近くにあるのは分かっているのですが、人に聞いても良くわからない。大和平野には、南北にまっすぐ走る官道として、3本の道が7世紀初めにはあったそうです。上ツ道(かみつみち)、中ツ道(なかつみち)、下ツ道(しもつみち)と呼ばれていたそうです。この写真にうつっているのが、現在の上ツ道。昔はバスが通っていたそうです。壬申の乱(672年)の頃は、道幅が16メートルあり、当時の戦争に向かう兵士達で道が埋め尽くされたとか。

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たばことこんぶという想像も付かない組み合わせ。何故??

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雨の中をうろうろする二人。地元の人はあまり知らないのですね。つうか、こんなの見に来る人自体あまりいないのかも。何人かの人に聞いてやっと見つけました~~。纒向古墳群(纒向石塚古墳、纒向勝山古墳、そして矢塚古墳)です。言われなかったら、古墳だとはわかんないのもあります。

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纒向石塚古墳。なんでここの古墳が貴重かというと、古墳の発生期の前方後円墳(3世紀後半以前につくられた)だからです。近くにある、卑弥呼の墓と言われている箸墓古墳より古い古墳ということになります。後円部64m、短径52mの不整円形で、東南方向に前方部幅32m、長さ32m、先が15mの前方部が付く纒向型の古墳。簡単に言うと、丸い古墳についている四角い部分がとっても短い形をしています。

出土された大量の土器は、吉備地方のものと思われる土器や木製製品も発見されており、他にも東海地方を中心に、九州から関東まで各地からの土器が発見されていて、当時からすでに人の往来があったことがわかる。更に、朝鮮半島の韓式土器も出土している。周りに水路があったことも発見され、ここの木を調べたら、奈良時代最古の古墳であるということがわかったのです。ということは、3世紀初めぐらいからすでに、それなりの力を持つ人物がこの地域にいたということがわかったわけです。すごい!

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纒向勝山古墳です。コチラは回りに池があります。遺跡名の「纒向」(まきむく)は、垂仁天皇纒向珠城宮・景行天皇纒向日代宮等、『記紀』にも登場する地名なのですね。今は、巻向という漢字を使っているようですが、遺跡のなまえはこちらの難しい漢字を使っているようです。

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また線路を渡って、今度はホケノ山古墳へ。写真で後ろに見えているのは箸墓です。桜井市教育委員会による説明によれば、ホケノ山古墳の周囲には纒向遺跡が広がっています。纒向遺跡は東西約2キロ、南北1.5キロの古墳時代前期の大きな集落遺跡であり、初期ヤマト政権発祥の地として、あるいは北部九州の諸遺跡群に対する邪馬台国、東の候補地として全国的に有名な遺跡です。この遺跡は3世紀初めに出現し、およそ150年後の4世紀中ごろには消滅してしまいます。


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今日最後の古墳、箸墓です。25年ぐらい前にも実は来たことがあるんですねえ。家族旅行です。箸墓は、宮内庁の管轄。全長272mで、3世紀後半ごろの築造。倭迹迹日百襲姫のお墓ということになっています。日本書紀に「この墓は、日(ひる)は人作り、夜は神作る」と書かれている古墳です。卑弥呼の墓だとも言われています。

雨はだんだん強くなり、風も強くなり久々に傘がオチョコに何度もなりました。なんか小学生の頃を思い出しちゃいましたね。靴もGパンもぐちょぐちょ。やっとたどり着いたは最後の目的地”埋蔵文化財センター”閉館4時だったのに、4時に到着。でも、ずぶぬれで来た私たちに優しくゆっくり見ていってくださいとおっしゃっていただきました。ありがとうございました。ここには、桜井市の原始から古代中世までを時代ごとに出土品を展示してありました。纒向遺跡から発見された、吉備からきた不思議な模様の木器や、大陸からきた韓式土器も展示してあり、興味深かったです。

いや~~~よく歩きました。これで今日の旅程は終了!
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by the_big_blue | 2007-07-22 22:39 | travel, diving, ovtd