奈良旅行: 古代ロマンの旅?(2,3日目:博物館、飛鳥、鶴橋)

2日目以降は、デジカメの電池不足により、ほとんど写真がありません。あしからず。

2日目(橿原考古学研究所付属博物館)

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三輪あたりに来るとどこへ行っても三輪山が見えますね。なだらかな円錐(えんすい)形の美しい姿をした山で標高467m。太古から神様が宿る山として、大物主神(おおものぬしのかみ)のがいらっしゃる山として信仰されている神聖な山ですね。

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朝一で、大神(おおみわ)神社へお参り。三輪山をご神体とする神社。そのため、本殿はありません。

本当は晴れたら師匠の提案で”葛城”に行くはずだったのです。ただ、台風が来ているので取りやめ。桜井周辺は一日曇りでした。暴風雨になったかもしれないことを考えると幸運でした。そこで、代わりに古代が好きなら聖地というか、憧れの場所の"橿原考古学研究所付属博物館"へ行きました。本当は私もIndiana Jonesみたいに考古学者になりたかったな。

付属博物館には、奈良の遺跡から出土した品物だけを集めてあります。どれも、非常に価値のあるもので、展示物の説明も、図解と写真を使ってとても分かりやすいです。ボランティアの方がいらっしゃって詳しく展示物の説明をしてくださります。我々は、古墳時代に興味があったので、この時代を中心にご親切に説明していただきました。この日は結構人が来ているほうだったそうですが、それでもやっぱりガラすきで、もったいないと思いました。

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展示物で印象に残ったのは、日本最大の円柱埴輪。写真だと大きく見えませんが、高さ2.42m、円筒基底部の径90cm、口縁部は上に開いた形態で、径1.31mもあるんです。古代の人がこんな大きいものをどうやって焼いたのかと思います。それ以上にこれだけのものを作らせて、埋めさせた被葬者は一体どのぐらいの権力を持つ人物だったのかなと思います。

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山辺の道のところでも書きましたが、古墳から出土された物は奈良のものばかりではなく、東北、北陸、中京、山陽、山陰、九州と全国から来たものがあったのが驚き。3世紀頃に、すでに人と人の交流があったということ自体驚き。だって、徒歩しか移動手段無かったはずの時代に、どうやって移動したんだろうかと。果てしない時間がかかったはず。

また、この当時の技術の進歩や(青銅を作ったり、金メッキをしたり、鉄を作ったり、土器を作ったり)文化の伝播(仏教、文字、建築、仏像)は渡来人や帰化人の助けなくしてはありえなかったはず。今日、行くはずだった葛城氏の土地には技術集団ごとに分かれた部落があったそうです。当時の、朝鮮半島の百済、新羅、高句麗と日本とは深い関わりがあったのは事実。日本人は純血種と言うことになってますけど、なんだかんだいっても、私たちの血の中には、半島の人たちの血も少し入っていますよね。中国とは全く言葉が全然違うけど、韓国とは言葉がとっても近いし。天皇家にも半島の血が入っているのは周知の事実だし。今、宮内庁管轄の古墳を調査したら面白いだろうな~~。それをしないでいるのは、実際に出てきたものによっては歴史を覆がえしかねないという懸念があるのでしょうね。とにかく、日本と朝鮮半島とは、長い交流の歴史があるのですね。今も、勝手に韓国料理とSE7ENに惚れこんで個人的に韓国と交流?している私です(爆)。奈良は百済の都、扶餘(プヨ)をモデルにして作られたそうです。いつか、扶餘に行くのが夢です。Scotlandに行くより現実味があるでしょ。

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3日目(飛鳥)

桜井で1泊して、三日目は飛鳥へ。桜井からバスで、まずは飛鳥資料館へ。ここは飛鳥の出土品、キトラの壁画についての展示、そして一番の見ものは 山田寺で見つかった回廊の復元物ですね。これは一見の価値があります。

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(飛鳥資料館ホームページより)
山田寺 = 蘇我入鹿のいとこ蘇我倉山田石川麻呂(くらのやまだいしかわまろ)が、641年(舒明天皇13年)に建て始めた寺院。このころ、各豪族が、盛んに造った氏寺の一つである。石川麻呂は、入鹿殺害のクーデタに加わり、右大臣に任ぜられたが、649年(大化5)、反乱の疑いをかけられて、この寺で自害した。しかし、その後、彼の疑いは晴れ、皇室の援助で寺の造営は続けられて、7世紀の後半に完成した。発掘調査で中門・塔・金堂・講堂を南から北へならべ、回廊が塔・金堂を囲むという伽藍配置が明らかになり、金堂の風招・專仏・鴟尾・鬼瓦・瓦などがみつかった。また1982年からの調査では倒れた東回廊の建物が土に埋もれた状態で残っていることがわかり、古代建築の貴重な資料となっている。

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見学後、またバスで石舞台へ出ました。ここへ来るのは3回目かな?来るたびに、周りが立派になっていく。昔は、だだっぴろい土だらけの丘にいきなり古墳があったんだけどなぁ。いつも、この巨石で出来たお墓に圧倒されます。やっぱりここは蘇我馬子のお墓だと思います。

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聖徳太子が生れたといわれる橘寺。聖徳太子というと、勝手に私の頭のなかでは漫画の姿に変わっちゃうんですけどね。

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懐かしい・・・。厩戸皇子。

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山辺の道でもよく見かけた草。紫蘇の葉っぱかと思っていたら、これは”からむし”の葉っぱだそう。チョマとも言うそうで、昔はこの葉っぱの茎から繊維をとったそうです。からむしという名前は「乾蒸し」。つjまり、茎を蒸して皮をはぎ、繊維をとっていたことからきているそうです。麻のような素材で、奈良時代に千葉県からも、租庸調の時代にチョマから作った布を納めた記録があるそうです。

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石舞台古墳から、坂を降りて、橘寺、川原寺、入鹿首塚、飛鳥寺、甘糟丘を歩きます。外は青空、じりじりと暑い。田んぼの緑と、遠くに見える二上山が美しい。一昨日の雨は一体なんだったんだという感じ。蘇我の馬子と蝦夷の邸宅があったであろう甘糟丘、そして、壬申の乱の時に、彼らの邸宅を、目の前の飛鳥寺からじっと睨んでいたであろう中大兄皇子、1500年前にしばし思いを馳せました。

今日は帰りは大阪からなので、飛鳥から近鉄で鶴橋へ向かいます。一度大阪のコリアンタウンに行ってみたくて。でも、新大久保とは全然違うんですね。一言で言うと巨大なアメ横。韓国料理やさんも沢山あるのかと思いきや、焼肉屋(牛)がほとんど。お店の数も思ったより少なかった。サムギョプサルが食べたかったので、探したけど、一人前1700円もするのを1軒見つけたのみ。サムギョプサル、タッカルビ、デジカルビを出すお店は見かけず。市場では豚足等は普通に売ってた。たぶん、鶴橋は、韓国料理を食べに行くという場所というより、生活の一部になっていて、普段の食材を仕入れる場所に近いのかなと思いました。だからソウルからニューカマーがやってきて、今のソウルの流行り物をバンバン展開していく新大久保と違って、昔ながらの韓国がずっと続いている・・・そういった雰囲気なのかなと思いました。

天王寺に出て、お店が分からなかったので、東京にも店舗がある”ぼてじゅう”に行きました。実は、東京でぼてじゅうに行った時は美味しくなかったんだけど、大阪で食べたのはとっても美味しかった。やっぱり、本場で食べると違うのかな。2人で3枚は楽勝。それも、禁断のマヨネーズべちょべちょにつけて。モダン焼が超気に入ってしまった。自分じゃ焼けないから、お店の人が焼いてくれるお店はありがたい。

初日の16キロ歩いたのが効いて、筋肉痛を感じながらの旅でしたが、楽しかったです。台風の時期に行っちゃったけど、事故も無く帰って来れたことに感謝。師匠の知識の豊富さにびっくり。あと、古墳とかを語らせたら止まらないのにもびっくり。ま、師匠とは私の父なんですけどね。2人きりで旅行したのも初めてだったので、少しは師匠の良い(辛い?)思い出になってくれればなと思ってます。まだ懲りていないようだったら、今度は一緒に葛城へ行ってみたいです。かなり強行軍で振り回したので、身体大丈夫かなぁ・・・。これからもずっと元気でいて欲しいです。
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by the_big_blue | 2007-07-23 01:22 | travel, diving, ovtd