4泊5日韓国旅行:2日目 (その1)
2009年 09月 28日以前からずっと地方に行ってみたいと思っていました。私は奈良が大好きで、いつか、奈良と関連の深い百済の都、扶余(プヨ)に行くのが憧れでした。といっても、歴史に詳しいわけでなく、なんちゃって古代史ペンなだけなんですけど。飛鳥の都は蘇我氏が扶余を模して作ったそうでうす。その土地へいけると思うだけでわくわくしてきます。
今回の旅行を計画するにあたって、友人と行けたら地方に行きたいねという話になりました。で、調べていたらいいツアーあったんです。だって、韓国でレンタカーは自殺行為だし、電車やバスで回るのも時間がかかっちゃう。その点ツアーは制限はあるものの効率よく回れるので、行ってみよ~~ということになり、”百済浪漫号”に乗って百済の都があった公州と扶余を訪ねます。
日本が連休ということもあって、このツアー人気のようでした。私達だけかと思ったら、ぬあんと大型バスで2台。それにですね、大切なのはですね、今回行く場所は、”忠清南道”にあるわけですよ。ここどこかと言いますと、きゃ~~ん、イェソンとジェジュンの出身地でございますよ。やっぱり出会う前から私はこの二人に縁があったのですね(こじつけ)。
イェソンの故郷の天安市は今回行きませんが、忠清南道にあります。チャンミンをして、天安にはくるみ菓子しかないかと思っていたらイェソンが居たと言わしめた場所です。ここには温陽温泉という百済の王様も入ったという温泉があるようなので、いつか天安市に行ってみたいです。天安市の日本語ホームページがありましたよ。今度時間あるとき、ゆっくり見てみようっと→天安市公式サイト(日本語)
今回はジェジュンの故郷公州(コンジュ)に行けるので、それだけでも嬉しいですよ~~。確か数日前JJは公州にいたらしいですよね。ついでに公州についてちょっとお勉強しましょうか?公州にはは公山城、国立公州博物館、武寧王陵、鶏竜山国立公園、千年古刹、など歴史と文化と自然に恵まれた名所が沢山あるのです。なーんてパンフレット見ながらタイプしただけですけどね。もっと詳しく知りたい方は、こちらへどうぞ→公州市公式サイト。
さて、ツアーの話に戻りますね。朝食は、忠武キムパップで食べました。ここも明洞を歩くたびにお店をみていて気になっていたのに行けてなかったところです。
朝だからお客さん誰もいなかった。お店のおばちゃんは明るくて元気がいいです。
私ここのキムパップ好きです。W5000でちょっと高めですが、2人前でこの写真の量です。海苔巻きには具は入ってません。一緒についてくるイカが酸っぱくてうまい。スープも付くのですが、それがまたおいしいです。どうして韓国の食べ物ってこんなにうまいんだろう?
車窓から見える風景は、日本と変りないです。文字が違うだけで、それを除けば、違和感なし。まず最初は、公州の公山城を見学します。ここで、百済時代の装束に着替えて写真撮影という思いっきり観光客みたいなことしてしまいました。でも、いい記念ですね。
公山城は、百済の代表的な古代城郭であり、475年から538年に扶余に移るまの5代64年間に渡って王城を守った山城です。写真に写っているのは錦西楼と言われる門ですが、昔はこれは石積みではなく土でできていたそうです。錦西楼から見下ろした風景です。近くに流れる川の名前は錦江。
いきなり変な写真で申し訳ない。お手洗いで撮影しました。さて、この青いのはなんでしょう?
地下鉄や、レストランでもこれを見かけました。何かと言いますと、トイレにある石鹸です。石鹸が棒についているんですね。日本の学校のレモン石鹸のように、どこで見かけても青い石鹸なのだ。これ日本では見られない風景です。
次は、近くの宋山里古墳群模型館(武寧王陵)見学です。武寧王(461年-523年)は百済の第25代の王で、佐賀県の玄海灘に浮かぶ加唐島で生まれたそうです。桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されています。ですので、日本ともかかわりの深い土地なんですね。
またムードぶち壊しますが、王陵にあったゴミ箱ですね。ゴミ箱にも気品が感じられます。
青空がすがすがしい。本当に気持ちが良い日でした。こんな所なら王様達も安らかに眠れそうですね。この古墳群には全7基の古墳があります。写真に写っている一番奥の丸いふくらみが武寧王陵です。(宋山里6号墳)
今は閉じられていて王陵内は一般公開されていません。武寧王陵は排水工事中に偶然発見されたそうです。古墳群模型館は、一般に公開されていない武寧王陵と、5,6号墳を精密に再現しています。
入っちゃだめの看板の中をのぞいていました。古墳の入り口にはこんな立派な鉄の扉がありました。百済瓦のデザインが素敵です。私は、インディジョーンズみたいな考古学者になりたかったです。
武寧王陵発掘当時の風景です。わくわくしますね。ここからは、冠装飾、耳飾り、首飾り、腕輪など金で出来た各種装身具をはじめ、全部で108種類2,906点という膨大な遺物が発見されたそうです。
武寧王と王妃が埋葬されていたそうです。玄室は、長さ4.2m, 幅2.72m, 高さ2.93m。
レンガには蓮の花の模様が施されている。
棺材が日本にしか自生しないコウヤマキと判明したことも話題になりました。日本(倭国)にゆかりのある王様だったからでしょうか?
そろそろみなさん、飽きてきましたか?(笑)。そろそろお昼にしましょう。
サムパップのランチ。葉っぱにおかずやご飯を包んで食べる料理です。ここでは無農薬の野菜を使っているそうです。とってもおいしかったです!ツアーのランチってまずいのが相場なのに、良かった。
サムパップは大好きな韓国料理です。葉っぱもいろいろな種類があって楽しいのです。韓国といえば焼き肉を想像される人が多いと思いますが、日本みたいに肉だけを食べるのではなくて、野菜に包んで食べるからヘルシーなんですよね。見てください、このお皿の数。あとで洗うのが大変だ!
食後は、バスで扶余に向かいます。扶余は538年-660年の間、百済の首都でした。結構ツアーってばたばたと忙しいじゃないですか?このツアーはわりとのんびり回れるので良かったです。ガイドさんもいい人だったし、楽しかった。
国立扶余博物館(Buyeo National Musium)の外にもいろいろな遺物が設置されています。この仏像のお顔、穏やかでいいですね。高麗時代の仏像だそうです。
外国の博物館て写真撮影OKなのがいいですよね。日本は撮影禁止。なんでかな?あの大英博物館だって、ミイラとかすごいものが撮影可能なんですもん。
これとても可愛いくないですか?虎子と言うそうです。でも、用途はね・・・男性が用を足すのに使ったらしい。
漫画”日出づる処の天子”ファンにはドキドキするのではないでしょうか。七支刀ですね~~。
美しい瓦です。うっとりしますね。
国宝 百済金銅大香炉 - 百済の人がお香を焚くのに使用したもので、蓋に12個の穴があり、そこから香の煙が出るようになっているそうです。足元には龍が、蓋の上部には鳳凰が装飾されています。
お土産に、扶余博物館のパンフレット(W35000)と扶余博物館グッズの瓦のマグネット(W1200)を古代史が好きな父親へのお土産に買いました。飛鳥時代の遺跡から出土される瓦は、百済の瓦の影響を受けているそうです。そういえば、なんか見た事がある気がしませんか?
博物館を出て、車窓から、定林寺の石塔を見学し、クドゥレの船着き場から白馬江(錦江)の遊覧船に乗ります。昔風のデザインを施した船でのんびりと素朴な風景を楽しみます。この辺りの地名から日本でいう”クダラ”の名前が来たという説もあるそうです。片道約30分。
新羅・唐の連合軍が百済を攻めてきたとき、百済朝廷の後宮にいた多くの女性が、奴隷として生きるよりは・・・と断崖から身を投げたという悲しい伝説がある落花岩。彼女たちを奉る皐蘭寺の船着場につき、ここを見学して、また船に乗ってクドゥレに戻りました。
川からの眺め。歴史で習った「白村江」の戦いの舞台はここなんですって。教科書で見ていた場所に自分がいるなんて、不思議た。
一日フルに楽しめました。いつかゆっくりこの辺を回りたいですね。韓国はソウルだけじゃないですものね。地方にも行ってみたいです。多分、先祖の誰かがこの辺りから来ていたような気がします。だから、なんだか血が騒ぐのでしょう。日本とゆかりのある百済ですから、私の先祖に一人ぐらいは居ると思うんだ(笑)。
帰り道が大渋滞につき6時解散のはずが、ロッテホテルに着いたのは8時でした。バスでは爆睡。読んでくださった皆様もお疲れ様。長いので一旦ここで切って、記事を分けますね。
by the_big_blue
| 2009-09-28 23:31
| K-travel, gourmet